「現代の書は、書が本来持つ文字の伝達力とは切り離されたところにあってよいものか」
そのような疑問が長いこと続いています。
たとえば幕末に活躍した市河米庵という人は書道の門弟が五千人もいたといいますが、
それまでの日本書道史をみたとき、書家などという職業は存在しません。
頼まれて書く場合はあっても、自ら書き留めておきたかった言葉があって、
相手を想った手紙などが書道史を彩ってきたに過ぎないのです。
(国宝 風信帖 空海筆)
現在、国宝や重要文化財に指定される書は、どのような背景のもとしたためられたのか。
書いた人物の人生を想うことも、書を楽しむための大切な要素です。
その人物は絵も描く・・・その人物は和歌や漢詩も詠む・・・
その人物は茶の湯も楽しむ・・・その人物は作陶もする・・・
書道だけではなく、他の日本文化にも目を向ければ
より一層、書の魅力が広がっていきます。